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HISTORY 医療用ベッドのパイオニア、パラマウントベッドの電動ベッド技術開発の歴史

本社全景(1981年当時)

1970年代、65歳以上人口の割合が7.1%に。
高齢化に、いちはやく対応

車椅子兼用電動ベッド KA-351の画像 車椅子兼用電動ベッド KA-351

1975

電動ベッドが車椅子へ簡単に変わる、
世界初の兼用電動ベッド。[車椅子兼用電動ベッド KA-351]

1975年、電動ベッドを車椅子に変えようという発想を実用化するため、技術者たちの挑戦が始まりました。開発課題としては、ベッドを車椅子に変える際、患者の身体に無理を与えないための駆動方法の開発や、緊急移動操作を容易にすること、家庭内で使用できるように軽量化すること、そしてベッドと車椅子兼用のための適性な寸法の策定などがありました。技術陣は、設計から製造まですべての技術を見直し、斬新な発想によってこれらの課題をクリアすることに成功しました。1977年、手元スイッチの操作で簡単に車椅子になる、世界で初めての車椅子兼用電動ベッド[KA-351]を開発し、[マルチカーマ]と命名して発売しました。当時、マスメディアなどでも取りあげられ、ベッドの既成概念を超えたユニークな製品として反響を呼びました。また、この3年前にはベッドにポータブル水洗トイレを組み合わせた[電動油圧水洗トイレ付ベッド KA-330]を発表するなど、この時期、高齢化社会のニーズに対応する意欲的な製品を次々と発表していきました。

1979

ベッド低床化のさきがけとなった
ハイロー式ギャッチベッド。[ハイエンドロー2クランクギャッチベッド KA-481]

1979年7月、ベッドの脚部を軽く持ちあげるだけでベッドの高さ調節ができる[ハイエンドロー2クランクギャッチベッド KA-481]を発売しました。従来のモーターやハンドルによる高さ調節ではなく、ラチェット機構の採用により、脚部を持ちあげるだけで前脚、後脚それぞれ5cmきざみで5段階の高さに調節が可能となりました。また、患者が寝たままでも操作できます。もっとも低い状態の床高(ゆかからボトム面までの高さ)は34.5cmです。このベッドは、その後のベッド低床化のさきがけとなり、特別養護老人ホームなどで盛んに採用されました。

ハイエンドロー2クランクギャッチベッド KA-481の画像 ハイエンドロー2クランクギャッチベッド KA-481
アウラ電動ベッドの画像 アウラ電動ベッド

1983

家具調デザインを取り入れた、
業界初の在宅介護用電動ベッド。[アウラ電動ベッド]

病院ではなく、自宅で生活しながら介護を受ける「在宅介護」。それまで在宅介護でベッドが必要になると、手動式の病院用ベッドを流用するしかありませんでした。病院用ベッドは、求められる機能を満たしてはいるものの、重たくて運搬や組み立てが大変なうえ、家庭にふさわしいデザインを有しているわけではありませんでした。[アウラ電動ベッド]は、こうした問題を一挙に解決するべく開発されました。部品の軽量化を図り、梱包をいくつかに分けるなど、一般家庭でも容易に組み立てられるよう配慮しているほか、部屋のインテリアに合うよう家具調のデザインにしました。在宅介護用電動ベッドの先駆けとなった[アウラ電動ベッド]が実現した、家具調のデザイン、組み立て式、軽量化、電動式の4点は、その後木村寝台工業だけでなく業界標準として定着しました。
※アウラとは、ギリシャ神話の女神の名からとったものです。

Column

創業者木村隆輔、叙勲受章の栄に輝く。

当社の創業者木村隆輔は1983年4月、藍綬褒章を受章しました。また、その後1988年11月には勲四等瑞宝章の叙勲を受けました。木村は1947年の創業以来、医療用ベッドやマットレスをはじめ、病室用家具や医療用器具備品などさまざまな製品の開発・製造を指揮してきました。模範となる先進の製造事業者がないなかで開発された日本の医療環境に適合する独創性の高い製品の数々は、全国の医療施設などから好評をもって迎えられ、医療環境の向上に貢献してきました。電動ベッド、車椅子兼用電動ベッド、多機能ベッドなどはいずれも木村の代表的な発明考案であり、これらの製品ノウハウは当初、医療福祉の向上と進歩に役立てばよいとの考えで工業所有権産業財産権)して出願しませんでした。これらの実績に加えて、企業経営者としての社会的信用などが総合的に評価されたのです。※のちに開発競争激化により、企業防衛上やむを得ず出願しています。

勲四等瑞宝章勲章勲記の画像 勲四等瑞宝章勲章勲記