会社情報

会社沿革

パラマウントベッドの歴史をご紹介します。

年表

1940年代
1947年 5月 木村隆輔、個人経営の「木村寝台製作所」を創業、病院用ベッドの生産を開始
1950年代
1950年 5月 資本金200千円をもって木村寝台工業株式会社を設立ブランド名を「パラマウントベッド」に決定
1955年 7月 病院用ギャッチベッドを開発
1960年代
1961年 5月 本社部門を現在地に移転
1962年 4月 我が国初の電動ベッド「KA-45」を開発、販売
1966年 5月 千葉工場を建設
1970年代
1970年 2月 松尾工場を建設
1980年代
1980年 6月 自動採尿器「スカットクリーン」を開発、販売
1983年 12月 在宅ケアベッド「KQ-100(アウラ電動ベッド)」を開発、販売
1987年 3月 パラマウントベッド株式会社に商号変更
12月 株式を東京店頭市場に登録
1990年代
1991年 3月 財団法人「木村看護教育振興財団」を設立
4月 木村隆輔 会長、木村憲司 社長就任
1993年 10月 在宅ケアベッド「楽匠(らくしょう)」を開発、販売
12月 株式を東京証券取引所市場第二部に上場
1995年 9月 海外現地法人「PT.パラマウントベッド インドネシア」を設立
1996年 9月 株式を東京証券取引所市場第一部に上場
1997年 4月 在宅ケアベッド「キューマアウラベッド」を開発、販売
1998年 5月 ISO9001 認証取得
10月 在宅ケアベッド「アウラ21」シリーズを開発、販売
2000年〜
2001年 2月 病院・高齢者施設向けベッド「カリスト」シリーズを開発、販売
2002年 1月 上海事務所を設置
7月 「パラテクノ株式会社」を設立
2003年 5月 ”上質な眠りと健康”を提案する新ブランド「INTIME(インタイム)」を設立
11月 在宅ケアベッド新「楽匠」を開発、販売
2004年 3月 海外現地法人「八楽夢床業(中国)有限公司」を設立
2006年 11月 ISO13485 認証取得
2007年 10月 「サンネットワーク株式会社(現 パラマウントケアサービス株式会社)」を子会社化
2008年 5月 千葉工場に新一貫生産ラインを稼働
2009年 4月 木村憲司 会長、木村恭介 社長就任
在宅ケアベッド「楽匠Sシリーズ」を開発、販売
5月 睡眠管理システム「眠りSCAN」を開発、販売
11月 ”睡眠改善”をサポートする新ブランド「スマートスリープ」を発足
2010年 5月 高機能エアマットレス「ここちあ」を開発、販売
9月 ドバイ駐在員事務所を設置
10月 海外現地法人「パラマウントベッド タイランド」を設立
2011年 10月 持株会社体制へ移行
2012年 2月 海外現地法人「パラマウントベッド アジア パシフィック」を設立
8月 海外現地法人「パラマウントベッド インディア」を設立
2013年 6月 海外現地法人「パラマウントベッド メキシコ」を設立
7月 海外現地法人「パラマウントベッド ベトナム」を設立
2014年 1月 在宅ケアベッド「楽匠Zシリーズ」を開発、販売
7月 海外現地法人「パラマウントベッド ブラジル」営業開始
10月 床ずれ防止エアマットレス「ここちあ結起(ゆうき)」を開発、発売
2015年 10月 病院向けベッド「メーティスPROシリーズ」を開発、販売
11月 製品安全対策優良企業表彰において「商務流通保安審議官賞」を受賞
2016年 3月 超低床在宅ケアベッド「楽匠FeeZシリーズ」を開発、発売
10月 一般家庭向け電動ベッド「INTIME1000シリーズ」を開発、発売

1940年代

創業者木村隆輔とパラマウントベッド

創業時の木村隆輔

パラマウントベッドの創業者木村隆輔は1918年3月、東京の下町で三代つづく酒屋の長男として誕生。うちつづく戦争で家業は廃業やむなきに至りましたが、終戦後、復職した地元の機械メーカーで戦時中に供出させられたままの金属製品の再生ビジネスに取り組みました。パラマウントベッドの歴史は 1947年5月、木村隆輔が木村寝台製作所を創業し、こうした再生ビジネスのひとつとして、病院用ベッドの再生を手がけたことに始まります。
当時の病院用ベッド業界は、戦前から需給関係が固定していたこともあり、新味も進歩もなく閉鎖的であったといいます。それだけに木村はアイデアを駆使して優れた製品を開発し安く迅速に供給すれば成功できると考えました。日赤中央病院(現日本赤十字社医療センター)からの新品フレームの大口注文の獲得を機に、病院用ベッドの製造が事業として十分やっていけるという自信を得て、1950年5月、木村寝台工業株式会社を設立すると同時に、ブランド名を「パラマウントベッド」と決定しました。

1950年代

結核病床の整備とギャッチベッドの開発

当時の病院用ギャッチベッド

結核は、当時「亡国病」ともいわれ、1950年までは常に死亡率の1位を占めていました。死亡率のピークを越えた1955年度でも、結核の医療費は国民医療費の4分の1、入院医療費の2分の1を占めており、こうした中にあって、結核病床は1947年の53千床から1957年の261千床へと約5倍に整備されていきます。パラマウントベッドは、創業・成長時代に結核療養施設の拡充期にタイミングよく遭遇することで、発展の礎を築くことができました。
病院用ベッドは、開発者であるアメリカの外科医の名にちなんでギャッチベッドといいます。戦後、占領軍の払い下げの中古品のギャッチベッドが一時流通しましたが、数が限られているうえ、そもそもわが国の医療事情に適合するものではありませんでした。そこで木村隆輔は、病院を回っては積極的に関係者の意見を聴き、日本の医療システム、日本人の体型や嗜好にあったベッドの開発に取り組み、5種のオリジナル製品を1950年代に開発したのです。

1960年代

国民皆保険の達成と量産体制の確立

我が国初の電動ベッド「KA-45」

わが国の医療保険制度は、1922年の健康保険法の制定に始まりますが、「誰でもいつでもどこでも安心して」医療サービスが享受できる国民皆保険が実現したのは、1961年のことになります。これを契機に病院の病床は急増し、1960年の686千床から1970年の1062千床へと55%も増加したのです。
こうした状況を背景に1964年、首都圏の千葉県に大規模な工場の建設を決定し、当時の年商相当額の設備投資が行われました。新工場(第一期)は 1966年5月に操業を開始。これにより業界で唯一の一貫生産体制による量産工場のもとで、ダントツの生産力を確保することとなります。

1970年代

医科大学新設ブームと活発な新規参入

病院用ベッド「KA-500」シリーズ

国民皆保険の達成で医療需要に拍車がかかり、医療従事者の不足が顕在化。戦後長らく医学部定員が抑えられてきましたが、無医大県解消策により全国で続々と医大が新設されました。この時期、すなわち1970年から1984年までに新設された医大は34に及び、現在80あるうちの42.5%を占めます。パラマウントベッドは、新設医大のすべての付属病院に自社製品を納入し、業界における地位を磐石なものとしました。
1973年に老人医療費が「無料化」され、老人の受療率は5割増加。このほか保険給付の大幅な改善が図られ、この年は「福祉元年」とうたわれることとなります。病院用ベッド業界では、医科大学新設ブームや老人医療費「無料化」を背景に新規参入が相次ぎ、国内メーカーのみならず外資系企業も参入することで、販売競争は過熱の一途をたどります。このあおりを受けて先発組の専業メーカーでは、倒産の憂き目にあう企業も出ました。

1980年代

病院の病床規制と在宅介護用ベッドの開発

アウラ電動ベッド

1985年に医療法が改正され、「地域医療計画」の作成が全都道府県に義務づけられます。事実上、病院の新設・増床が抑制されました。これにより、戦後一貫して量的成長をつづけてきた医療供給体制は、大きな転換点を迎えることとなります。この後数年は、いわゆる「駆け込み申請」により病院の病床が急増しパラマウントベッドの業績も急伸しましたが、1992年をピークに病院の病床は漸減しつづけています。
一方、1983年、業界に先駆けて在宅介護用ベッド「アウラ電動ベッド」を開発・上市しました。開発時の基本コンセプトである(1)家具調のデザイン、(2)梱包をいくつかに分け現地組み立て、(3)軽量化、(4)電動式の四点は、現在でも業界標準として定着しています。以後、在宅介護分野においてもパラマウントベッドは、パイオニアとして業界をリードしていくこととなります。1987年にはブランド名であるパラマウントベッドに商号変更し、株式公開を果たしました。

1990年代

ゴールドプランとヘルスケア市場の開拓

在宅ケアベッド楽匠

1990年、「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(略称「ゴールドプラン」)が始まりました。今後10年間に国が整備すべき高齢者保健福祉サービス基盤について具体的な数値を掲げたこの画期的な施策により、在宅介護が普及し、高齢者施設が増加しました。パラマウントベッドにとっては、まさに追い風となり、1991年に二代目社長に就任した木村憲司は、施設市場を事業の第一の柱とするならば、在宅市場を第二の柱に育てようと社員に訴えかけました。
木村憲司新社長のもとで、ヘルスケア市場開拓のための施策がつぎつぎと打たれ、専任の在宅営業チームが全支店で組織されました。また、新製品開発のプロジェクトチームが組織を横断して結成され、2年後、画期的な在宅介護用ベッド「楽匠」が誕生し、初めて全国ネットのテレビCMを実施。1996年には東証一部上場を果たすこととなります。

2000年代

介護保険スタートと新規ビジネス

INTIME(インタイム)ベッド

2000年4月、「自立支援」、「利用者本位」、「在宅ケア重視」をキーワードに介護保険制度がスタートしました。2006年の制度変更に伴う混乱等もありながら、利用者は増加。パラマウントベッドはトップメーカーの地位を確保し続けます。
2002年にメンテナンス事業を行うパラテクノ株式会社を設立。2003年に「上質な眠りと健康」をテーマとした新ブランドINTIME(インタイム)を立ち上げ、一般家庭用市場に参入。2007年には福祉用具のレンタル卸事業に参入(現、パラマウントケアサービス株式会社)するなど、従来の医療・介護用ベッドの枠にとらわれない領域にビジネスを拡大し、メーカー事業との相乗効果を狙いました。

2010年〜

ホールディングス体制移行とグローバル化の加速

2011年10月、グループ経営基盤の強化とさらなる事業の多角化を目的に、パラマウントベッドホールディングス株式会社を純粋持株会社とするホールディングス体制へと移行しました。
海外事業を強化するため、従来のインドネシア、中国の製造販売拠点に加え、タイ、シンガポール、インド、メキシコ、ベトナム、ブラジルに拠点を設置。市場の拡大が見込まれるアジア・中南米エリアをメインに事業のグローバル化を加速しています。